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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)1969号 判決

原告

内山トヨ

外三名

右原告ら四名訴訟代理人

高橋庸尚

外二名

被告

三菱地所株式会社

右代表者

三野明彦

右訴訟代理人

河村貢

外二名

被告

株式会社

モツカン

右代表者

北出繁太郎

被告

楢村忠雄

右被告ら二名訴訟代理人

藤本猛

外二名

被告

藤田東亜子

右訴訟代理人

大橋光雄

外一名

被告

船迫二郎

右訴訟代理人

五十嵐公靖

外三名

主文

一  被告らは連帯して、原告内山トヨに対し金一四五二万九九二三円、同内山久美子に対し金二五七五万九八四六円、同内山貞及び同内山すみに対し各金八〇万円とこれらに対する昭和四三年三月一四日から支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。

二  原告らのその余の請求はいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを十分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告らの連帯負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一本件火災事故の概要と出火原因

1  昭和四三年三月一三日午後〇時四〇分ころ本件サウナ浴場において火災が発生したことは全当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、本件サウナ浴場の内部構造は別紙図面(二)のとおりであつて、その個室サウナ浴室部分から出火して右火災が発生したこと及び焼燬されたのは同浴室部分とカウンター付近天井部分の合計約三〇平方メートル程度にとどまつたが、大量の煙が発生し、浴場全体に急速に波及したため、そのころ、同浴場に入浴客として入場していた明英外二名が、大衆サウナ浴室部分付属のシャワー室内において、右の煙に基因する一酸化炭素中毒により死亡したことが認められる(明英が死亡したことは全当事者間に争いがない)。

2  明英が右のようにシャワー室において死亡するに至つた経過について検討する。

〈証拠〉を総合すると、以下の各事実が認められる。

本件火災当時、本件サウナ浴場の従業員は、一週間程前からアルバイトとして働いていた渡辺真由美一人しか居合わせなかつたのであるが、カウンターにいた同女は、午後〇時三〇分すぎころ、アイロンを焦がしたような臭いを感じ、個室サウナ浴室のドアを開けて中をのぞいたが、別段の異常は見受けられず、カウンターに戻つていたところ、その後のわずかな間に右の臭いが次第に強くなり、焚火をしているような臭いとなり、目がしみて来たため、再び個室サウナ浴室のドアを開けたところ、室内は煙がうずまき、後記の木製いす付近から火が立ち上つているのが見えた。そこで、同女は、直ちに休憩室に赴き、テーブルに座つていた三名の客(小林元と死亡した黒岩武及び栗林行雄。右三名とも本件浴場用の黄色のガウンを着ていた。なお、当時本件浴場内には、明英と右三名の計四名の客及び渡辺しかいなかつた。)に対し、「個室のサウナが火事なんですけど」と言つた。

しかし、その言い方は事を急ぐ様子でなく、落ち着いていたし、その時はまだ休憩室の方には煙もなかつたので、小林ら右三名の客は、大したことはないと思い、消火を思い立ち、それぞれ大衆サウナ浴室付属のシャワー室に行つて手桶に水を汲み、休憩室を通つて個室サウナ浴室にかけつけ、そのドアを開けて水をかけた。

ところが、その程度では火は消えそうになく、煙も浴室外に出てきたため、小林は、浴場外に避難した方がよいと判断してロッカーに戻り、着替えを始めた(渡辺から知らせを受けて、消火活動をし、そして右のようにロッカーに至るまでの時間は一分三〇秒程度である)が、煙の回りが早く、真暗になつてきた(そのころ停電となつた)ため、早く外に出なければと考え、衣類をそのまま抱えて出入口の方向へ向かつた。しかし右のように真暗であつたため、通路が見えずまた方向もよくわからず、手さぐりの状態で歩を進め(途中で左側に大衆サウナ浴室付属シャワー室のタイルがちらつと見えたので、この方向でよいと思い)、やつとのことで浴場外に出ることができた。小林は、最初前記のとおり共に水をかけた黒岩及び栗林のその後の行動は見ていないし、明英については、正午すぎころ同人がロッカーで衣類を脱いで大衆サウナ浴室の方向へ行くのを見ただけで、その後は、前記のように消火作業をする間も、一切その姿を見かけなかつた。ただ、小林が右のようにロッカーのところで着替えをしている時、隣にやはり着替えを急ぐ者がいたし、その後手さぐりで避難していた時も小林の後ろの方からついて来る者がいた。

ところで、渡辺は、前記のように休憩室の入浴客らに火事を知らせた後は、カウンターに戻つて一一九番に電話をし、その後浴場外に出たもので、入浴客らに対して何ら避難誘導等はしなかつた。

一方、当時、煙で本件火災に気付き、本件サウナ浴場の出入口付近にやつて来た同一ビル内の者が何名かいたが、その者たちは、前記の入浴客四名の誰か(小林以外の者)が、外に飛び出て来て「火事だ」と叫び再び中に入つて行つたのと、その後しばらくして小林がころげるようにして外に出て来たのとを見ただけで、その余の入浴客の姿は全く見かけていない。(なお、右のように「火事だ」と言つて飛び出して来たのが誰であるかについて、右の出入口外付近にいた者のうち、前畑明子は「黄色のガウンを着た男」と述べ、大岡幸夫は「中年の肥つた男で、パンツ一枚」と述べるのであり、そうすると、「火事だ」と言つて外に出て来た入浴客は前後二名おり、しかも明英以外の客は前記のとおり黄色いガウンを来ていたから、大岡の言う「パンツ一枚」の男とは明英であるこということになりそうだが、しかし、本件のような緊急事態に際しての目撃者の供述については、その細部にわたる点はどこまで措信できるか疑問の存するところであり、しかも、前畑の供述と大岡の供述を全体的に対照すると、両名の見た入浴客は同一人物ではないかと思えるふしもあつて、結局、前記の「火事だ」と言つて外に飛び出して来た入浴客が誰であるか〈一人か二人かも含めて〉については断定しがたい。)

なお、本件火災の翌日になされた司法警察員による実況見分の際には、ロッカー内及びその前付近と大衆サウナ浴室部分付属シャワー室に、三名の死者の下着類等が残存していたが、その内、ロッカー内及びその前付近に残存していたのは、黒の靴下片方、靴下一足、フンドシ一本、パンツ一枚、ズボン下一枚、靴箱鍵、ロッカー鍵各一個及び腕時計一個であつた。

以上の認定事実に基づいて、当時の明英の行動について検討する。

まず、右のロッカー内及びその前付近の衣類等の残存物をみると、ロッカー内に一人分全部の衣類が残存しているという状況にはないから、明英も、右のとおり正午すぎころ衣服を脱いで大衆サウナ浴室に入つた後、最終的にシャワー室において死亡するまでの間に、一旦はロッカーのところに戻つて衣類等を身につけた(どの程度の着替えをしたかはともかくとして)ものと推認できる。

次に、明英がいつどこで本件火災に気付いたか、また気付いた後どういう行動をとつたかについてであるが、右認定事実によるも、また本件全証拠を検討してみても、その詳細については明確に断定することはできない(〈証拠〉によれば、渡辺は、前記のように休憩室にいた三名の入浴客に火事を知らせた時、テーブルの反対側に、ワイシャツにズボン下姿で靴下をはいていた男一人がいたと述べるが、しかし、前記のとおり小林が消火活動をする間黒岩と栗林しか見なかつたことからして、にわかに措信できない。また、右の〈証拠〉によれば、渡辺は、前記のとおり同女が一一九番に電話をした後浴場外に出て、廊下を行つたり来たりしている間に、ズボン下をはいた男が浴場出入口付近で転倒し、これを黄色のガウンを着た男二人が起こしているのを見たと述べるが、〈証拠〉に照らして、にわかに措信できない。)が、前記認定の各事実を総合的に考慮すると、明英は、何らかの事情により本件火災の発生を知り、(その後、消火活動をしたか、一旦浴場外に出たか、これらについてはともかくとして、)ロッカーの処へ戻つて衣服を身につけ浴場外に避難しようとしたが、そのころはすでに浴場内は煙と停電のため真暗であつたため、通路及び方向を識別できず、大衆サウナ浴室部分付近付属のシャワー室に迷い込み、ついに死亡するに至つたものと推認でき、本件全証拠を検討してみても右推認を覆すに足りる証拠はない。

3  出火原因

〈証拠〉によれば、右の個室サウナ浴室部分には、C型サウナ風呂と称されるサウナ風呂が設置されており、その構造は概ね別紙(一)記載のとおりであつたこと、但し、電気ストーブ(電熱炉又はヒーターともいう)の周辺は別紙図面(四)のとおりで、木製いす(ベンチ、ベッドともいう)とキャビネット側壁の接合部分には、熱気流を上方へ通すように約一センチメートル巾のすき間が設けられるとともに、ラワン材のベッド受木か他の部分と違つて石綿板(アスベスト)で被覆されることなく露出していたこと、吸気口はキャビネット床下のコンクリートに密着していてその機能を果たしていなかつたこと、放熱偏向板(ルーバー)は上向きに取り付けられていたこと、以上の各事実が認められる。そして、〈証拠〉によれば、本件のC型サウナ風呂は、前記のとおりルームサーモスタットの感温部がキャビネットの天井近くに設置されていたため、これによつて室温を九〇度程度に調整しても、ヒーター上方のベッド下面部分は約二〇〇〇度前後となること、また稼働中において室内湿度は約二〇パーセントないしそれ以下となることが認められる。

右認定事実に、〈証拠〉を総合すれば、本件のC型サウナ風呂は、その構造上、床面積が約0.7坪と狭いうえ、吸排気口が一部あるほか全くの密室であつて、ヒーターからの熱が外部に放出されることが少なく(前記のとおり吸気口がその機能を果たしていなかつたため右効果は一層増した)、またヒーターとベッド下面部分の間隔が極めて狭く、更にヒーターからの熱気流がベッドとキャビネット側壁との接合部分の前記すき間から上方へ流れる(ルーバーが本来の取り付け方とは反対に上向きにされていたため、この流れが一層加速された)ため、ベッドの下面部分(特にベッド受木付近)に二〇〇〇度前後の熱が長期間に亘つて蓄積され、アスベストで被覆されることなく、酸素の供給が容易であつたベッド受木部分を中心にして、ベッドの木材部分の炭化が漸次進行し、ついに本件事故当日木材部分が無炎着火するに至つたものと推認できる。

被告モツカン、同楢村及び同船迫は、本件出火原因に関して、何らかの媒介物による引火がまず第一に考えられ、仮に無炎着火であるとしても、それは、C型サウナ風呂の本来のあり方と異なつて、ルーバーが上向きにされていたこと、設置の段階で吸排気口が塞がれてしまつたこと及びルームサーモスタットが一二〇度(本来は九〇度)にセットされていたことが原因であると主張する。しかし、媒介物の引火を言う点については、本件全証拠を検討してみても右媒介物の存在したことを認めるに足りる証拠はない(却つて、前記のとおり、〈証拠〉によれば、当時本件サウナ浴場で受付のアルバイトをしていた渡辺真由美は、当日、はじめ個室サウナ浴室部分からこげくさい臭いがしたためそのドアーを開けて内部を見たが、炎とか煙とかの異常はみられず、その後しばらくして臭いが強くなつたため再び内部をのぞいたところ炎と煙がみえたというのであつて、そうすると、前記のように無炎着火であることがうかがえる)し、また、ルーバー、吸排気口、サーモスタットのセットの各異常を言う点についてみると、前記のとおりこれらが木材の炭化及び無炎着火の一要因となつたとはいえるが、これらのみがその原因であつたというだけの証拠はなく、前記のとおり本件C型サウナ風呂の全体的な構造から炭化及び無炎着火に至つたものと推認できるのである。

そして、本件全証拠を検討してみても、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二被告モツカン、同楢村及び同船迫の各責任について

1  日高産業及び被告モツカンでは、被告船迫及び同楢村を含む数名の者が中心となつて、共同で、組立式サウナ風呂の研究開発及び製作を行なつてきたが、昭和四一年三月ころ、以前から開発を進めていた従来型より浴室面積の小さいC型サウナ風呂の研究を完成させ、その製作開始を決定したこと、そして、被告モツカンでは、右決定に基づき、同月ころから、電熱炉部分を除くC型サウナ風呂本体部分を製作したこと、一方、そのころ注文を受けた日高産業は、被告モツカンから右C型サウナ風呂本体部分の提供を受け、これに別途製作させた電熱炉を組み合わせて完成品とし、これを同年七月一三日本件浴場内に設置したこと、以上の各事実は、原告らと被告船迫との間においては争いがなく、原告らと被告モツカン及び同楢村との間においても、〈証拠〉を総合すれば、これらの各事実を認めることができる。

なお、右の各証拠によれば、日高産業と被告モツカンとは、昭和四〇年一〇月、組立式サウナ風呂A型(床面積一坪)及びB型(床面積1.5坪の製作販売に関する契約(日高産業の発注に応じて被告モツカンが右サウナ風呂本体を製作し、日高産業はこれに別途製作した電熱炉を組み合わせて他に販売するというものを締結したが、ここに至るまでに両会社は同年夏ころから共同で右サウナ風呂の研究開発をしてきたこと(但し、日高産業は、同年九月に日高商事株式会社と株式会社サウナ〈当初はサウナ興業株式会社、後に商号変更〉が合併したもので、当初は株式会社サウナと被告モツカンの共同研究であつたが、途中から日高商事株式会社も右合併を前提にして実質的には右研究に加わり、右合併によつて形式的にもこれを日高産業が引き継いだ)、その具体的態様は、日高産業側では、右合併により専務取締役となつた増田(株式会社サウナの代表取締役)、常務取締役となつた被告船迫(株式会社サウナの常務取締役)、取締役となつた河本(株式会社サウナの取締役)、被告モツカン側では代表取締役(但し、社内職制は社長ではなく専務取締役)の被告楢村、従業員の横山、以上の計五名が、サウナ風呂の室内温度を上げるにはどうすればよいか、熱源をどうするか、材質を何にするか等について随時協議及び実験をくり返して共同で研究するというものであつたこと、そして右研究開発を一応成功させて前記契約締結に至り、そのころから前記のA型及びB型の製作販売をはじめたこと、なお被告楢村は、右のとおり専務取締役として、被告モツカン側の右研究開発の総括責任者であつた(なお、製造責任者は横山であつた)こと、ところでその後昭和四一年一月ころ、他からサウナ風呂を美容関係に利用することの勧めがあつて、被告モツカンの応接室に前記の五名の者らが集まり、前記のA型及びB型より小型の床面積0.7坪のC型サウナ風呂を製作販売することを決定し、その際、使用熱源は三キロワットの電熱炉とし(A型は四キロワット、B型は六キロワット)木製いすの高さを六三センチメートル(A型及びB型は八二センチメートル)とするほかは構造、材質等はA型及びB型と全く同様にすることとして、前記契約にC型も追加するとともに、被告モツカンにおいて右のC型本体部分試作品を製作したが、三キロワットの熱源では室内温度を高温に保つことができないことが判明したため、右五名の者らが再び協議して、熱源は四キロワットとし、木製いすの高さはA型及びB型と同様に八二センチメートルとするが、すでに六三センチメートルで製作ずみのもの約一〇台についてはそのままの高さの規格品として販売することに決定し、そして右一〇台のうちの一台を日高産業において前記のとおり本件サウナ浴場個室サウナ浴室部分に別途製作した四キロワットの電熱炉を組み合わせて設置したこと、なお、右設置されたC型サウナ風呂の構造は前記一の3に記載のとおりであるが、ルーバーは本来は下向きに取り付けられるべきものであること、以上の各事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右の事実によれば、C型サウナ風呂は日高産業において単独で考案開発したものである、という被告モツカン及び同楢村の主張が採用できないことは明白であり、前記のとおり共同研究であり、被告楢村も同モツカン側の総括責任者として中心的に右研究開発を担つたものというべきである。

2 そこで、右のように本件サウナ浴場の個室サウナ浴室部分に設置されたC型サウナ風呂の研究開発を中心的に遂行した被告船迫及び同楢村について、前記一3のような出火をもたらしたことにつき、右研究開発上の注意義務違反(過失)があつたといえるかどうかについて以下判断する。

前記一3の認定事実と右1に掲げた各証拠によれば、C型サウナ風呂は、床面積約2.1平方メートル(約0.7坪)、高さ約1.8メートル程度の狭い木製キャビネットの内部に木製いすを設置し、そのいすの下部に電気ヒーターを置いて、これによつて室温が常時一〇〇度程度に保たれるようにする(その調節はルームサーモスタットによる)ものであることが認められるが、右のように狭い木製キャビネットの中で電気ヒーターを使用すれば、その熱は外部に放出されにくく木材部分に蓄積され、また室内湿度は極度に低下し、しかも、室温を一〇〇度程度に調節しても、ヒーター直近の木製いす部分はそれよりも相当程度高温になることが容易に予想されるから、たとえ紙類等の引火媒介物がヒーターに近付かぬようにしてこれらの火種になる着火を防いだとしても、本件の出火のように、ヒーターが長期にわたり木製いす部分を加熱することによつて、その木材が次第に炭化してゆき、ついには他の火種がなくてもそれ自体で着火するに至ることは、被告船迫及び同楢村において当時予見できたものというべきである。

同被告らは、本件のような長期低温(一〇〇度程度)加熱による無炎着火については、右研究開発当時全く予見し得なかつたと主張し、〈証拠〉によれば、斎藤美篤も右主張に沿うな鑑定意見をいうのであるが、しかし、〈証拠〉によれば、木材がどの程度の温度になれば火種なしに着火するに至るかについて、当時一般的には必ずしも明確ではなかつたとしても、当時においても、例えば煙突やスチームパイプに接する木材部分が火種なしに着火するに至るというような、それほど高温でなくても長期間により火種なしに着火する事実は一般的に知り得たものと認められるし、また、〈証拠〉によれば、A型及びB型の研究実験の時及び昭和四〇年一〇月ころ販売したA型についてしばらく使用した後に、やはりヒーター直近の木製いす部分等が黒くこげた旨の苦情を受けたことがあり、被告舶迫及び同楢村らは右事実を知り、防火対策について議論したこともあつたことが認められるから、同被告らには、木材の長期低温加熱による無炎着火に関して正確なところは知り得なかつたとしても、当時、室温をたとえ一〇〇度程度に調節しても、ヒーターに近接する木製いす部分はそれよりも相当程度高温になり、密室であることから蓄熱が容易であつて、しかも湿度が極度に低下するから、このような状態を長期間続けると、木材が漸次炭化してゆき、ついには火種がなくてもそれ自体で着火するに至ることは、容易に予見し得たものというべきである。

従つて、被告舶迫及び楢村には、本件C型サウナ風呂の研究開発にあたつては、十分に検討、実験を重ねて、本件のような長期加熱による着火のないような構造のものにし、火災の発生を未然に防止すべき注意義務があつたものというべきである。

ところが、前記一3の認定事実と〈証拠〉によれば、同被告らは、A型及びB型サウナ風呂の研究開発当時から、いかにして室温を上げて一〇〇度程度に保ちうるか、いかにして安価に製作しうるか、ということについて主として検討、実験をし、その結果、本場フィンランドにおけるサウナと異なり、熱源を木製いす内部に設置することを考案するに至り、その過程において、防火上、耐火上の観点からの検討「実験はほとんどなすことなく、ただわずかに木製いす内側のヒーター周辺にあたる部分に厚さ五ミリメートル程度のアスベストを貼付したのみで、それも前記のとおり木製いす受木部分は貼付することなくラワン材を露出したままとし、また、特にC型サウナ風呂については、従来のA型及びB型よりも木製いすの高さを約二〇センチメートル低くすることによつてヒーターと木製いすの下面部分との間隔を約26.7センチメートルないし約46.5センチメートルとより狭くしたと認められるのであつて、右のような本件C型サウナ風呂の構造上の欠陥が原因となつて本件出火に至つたことは前記一3のとおりである(但し、前記のとおり、他の設置、保存上の瑕疵も一原因となつている)。

以上によれば、被告船迫及び同楢村の前記研究開発上の過失により本件出火が生じたものということができ、これと明英の死との間に相当因果関係のあることは前記一の1及び2から明らかであるし、右の過失は、以上に述べて来たところからすると重過失というべきである(すなわち、容易に本件のような出火を予見し得たのに、ほとんどみるべき防火上、耐火上の考慮をしていない)から、同被告らは明英の死について不法行為責任を負うべきであるし、また被告楢村の右重過失が被告モツカンの代表取締役としての職務を行なうについてのものであることは明白であるから、同被告も同様の責任を負うべきである。

三被告藤田及び被告三菱地所の責任について

1 本件サウナ浴場施設(その構造は前記一のとおり)が本件建物(別紙物件目録記載(一)の建物)のうちの本件部屋(同目録記載(二)の部屋)内に設置されていたことは当事者間に争いがなく、同施設が民法七一七条一項の土地の工作物に該当することは同条の解釈上明らかである。

ところで、本件サウナ浴場のような施設においては、サウナ風呂部分はもちろんその他の部分にも可燃性の木材等が使用されているし、また、火気があると大量の煙を発生するビニールレザー等のいわゆる新建材及びその他の素材が随所に使用されていること、更に施設全体の面積は約七メートル四方程度と狭く、窓がいわゆるはめ殺しとなつていて密室に近いことからして、その内部でひとたび出火すると、火及び大量の煙が急速に浴場全体に充満し、その煙のためあるいは火災による停電のため、浴場の構造が別紙図面(二)のとおり複雑なこともあつて、入浴客らが避難方向を見失つてしまう危険が十分にあるから、内部での出火に備えて、早期にこれを消火しうるような消火器等の消火設備を浴場内に備えることが必要であるし、また、右のように煙がたちこめたり停電するなどして浴場内が暗くなつても避難方向が容易に識別できるような非常灯とか螢光塗料等による表示板を備えることが必要であるというべきである。

ところが、本件サウナ浴場内には、右のような非常灯等が備わつていなかつたことは当事者間に争いがないし、〈証拠〉によれば、右の消火器等の消火設備も全くなかつたと認められるのであつて、これらの設備を欠いていたのは、本件サウナ浴場の設置、保存上の瑕疵にあたるというべきである。

そして、右瑕疵のために、渡辺及び小林らにおいて本件出火を発見した段階で何ら有効な消火活動ができず、また、明英が通路及び避難方向を識別できず、ついに同人は逃げ場を失つて死亡するに至つたものであることは、前記一の1及び2から明らかである。

以上から、明英は土地の工作物である本件サウナ浴場の設置、保存上の瑕疵によつて死亡したものといえる。

2  そこで、右の瑕疵について被告らに責任があるか否かにつき以下判断する。

本件部屋を含めて本件建物を被告三菱地所が所有し、同被告は本件部屋を被告藤田に賃貸していたこと及び被告藤田は有楽サウナに本件サウナ浴場の営業をさせていたことは当事者間に争いがない。

そして、被告藤田が本件部屋内部に本件サウナ浴場施設(サウナ風呂用設備を含めて)を設置し、また有楽サウナの代表取締役として本件サウナ浴場の経営にあたつていたことは、原告らと被告藤田との間で争いがなく、〈証拠〉によれば、本件サウナ浴場の経営主体は右のとおり(株式会社)有楽サウナであつたが、本件部屋を賃借してその内部にサウナ風呂設備を含めて本件サウナ浴場施設を設置したのは被告藤田個人であつて(この事実は争いがない)、有楽サウナは右設置後に被告藤田が中心となつて資本金一〇〇万円で設立されたもので株式会社としての実態は備えておらず、代表取締役である同被告の個人会社的色彩が濃く、本件部屋(本件サウナ浴場施設を含めて)の利用関係についても、同被告から有楽サウナへの転貸借等の明確な形はとつておらず、そして同被告は週のうち四日位は本件サウナ浴場に出向いて従業員の指揮、監督等をしていたと認められる。

以上の各事実によれば、本件サウナ浴場の経営主体は形式的には被告藤田個人ではなく有楽サウナであつたにしても、同被告は、本件部屋の賃借人としてこれを管理支配し、本件サウナ浴場施設を含む本件部屋の「占有者」(民法七一七条にいう)であつたというべきである。

ところで、同被告は、同占有者として何ら免責事由を主張しない(被告三菱地所に本件サウナ浴場の設計を依頼したというが、これが免責事由となり得ないことは明らかである)し、本件全証拠を検討としてみても、右事由を認めるに足りる証拠はない。なお、民法七一七条に基づく賠償責任はいわゆる危険責任及び報償責任に基づいて生ずるものであるから、本件のようにもともと失火を原因として生ずるものであつても、失火ノ責任ニ関スル法律の適用はないというべきである。仮に同法の適用ありとしても、以上述べてきたところからすると、本件サウナ浴場内部での出火は容易に予想し得るところであり、これに思いを致せば、前記の消火ないし避難設備については容易に設置し得たものといえるから、被告藤田には重過失があつたというべきである。

次に、被告三菱地所については項をあらためて検討する。

3  被告三菱地所(本項では被告会社という)が、不動産の所有、管理、賃貸借及び売買等を目的とする会社で、被告藤田に対し本件部屋をサウナ浴場営業用として賃貸していたこと及び被告会社が被告藤田から本件部屋内部のうち少なくともサウナ風呂自体を除く本件サウナ浴場の設計依頼を受けて右設計を行なつたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すれば、以下の各事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

被告会社は、本件建物(有楽町ビルと称される地下五階付地上一一階建の近代的ビルディング)を所有し、地下四、五階を機械室、地下二、三階を駐車場として、地下一階から地上二階までを主として店舗用、地上三階以上を主として事務所用に賃貸していたもので、右の店舗用の階には各種営業の店舗があり、これらが有楽町ビル商店街と称される一団の商店街を形成していたが、本件部屋はその一角(地上二階)にあつて、昭和四一年八月ころ前記のとおり被告藤田に対しサウナ浴場営業用として賃貸されていた。右賃貸借契約においては、営業替えを禁ずるとともに、賃料は、被告藤田のサウナ浴場営業売上の一五パーセントとする(但し、これが最低保証賃料額一四万二一〇〇円に及ばぬ場合は、右の額とする)旨定められていた。

ところで、被告会社では、他にも本件建物のようないわゆる雑居ビルを多数所有していて、これらのビルの管理業務にあたる専門部門を有し、本件建物の管理には有楽町管理事務所という名称の右管理部門があたつていた(本件建物の地下二階にその管理室があり、管理部門従業員が常駐していた)。そして、被告会社では、「有楽町ビル商店街細則」なる書面を作成して、賃貸借契約締結の際、契約書の中でも賃借人において右細則を遵守すべきことを定め、これを前記店舗用の階の各賃借人に交付していた。

右細則には、営業時間を午前九時から午後一一時までとすべきことなどの営業方法に関する事項とか、店内の模様替えについては事前に被告会社に打ち合わせすべきこと等が定められているとともに(なお、賃貸借契約書では、内装等については事前に被告会社の承諾を得べき旨定められていた)、「建物管理上の注意」と題として、各部屋に消火器の設置をすべきこと等の防消火上の注意事項と、テナントの宿直は遠慮して欲しい旨、また、賃貸人において管理上必要な場合は、承諾を得ないでテナントの賃借部屋内に立ち入ることができる旨等が定められていた。

そして、実際に、被告会社では、前記の管理担当従業員が、夜間(この間はテナントは宿直していなかつた)とか休日に、保安及び防災管理上必要と思われる場合には、事前の承諾なくして各テナントの賃借部屋内に立ち入り、その場合には直後にテナントに対し立ち入つた旨連絡していた。(なお、店舗営業中の昼間においても、管理のため立ち入ることも皆無ではなかつた。)また、テナントが内装工事とか模様替えをする場合は、事前にその内容を届け出させ、部屋の管理上の観点からも助言をするのはもちろんのこと、管理上十分でないと思われるときは設計を変更させていた。さらに、前記の消火器設置等についても、実際に、相当程度の注意、指導をしていた。

なお、被告会社の本件建物の各部屋賃貸の一般的態様は、原則として、天井、床、壁等の一応の基準仕上げをしてこれを賃貸し、間仕切り等を含む店舗用内装は賃借人においてなすというものであつたが、被告会社には建築設計部門もあつて、賃借人の依頼を受けて右内装等の設計もしていた(本件建物においては、右設計を被告会社でなしたものとそうでないものとの割合は、半々程度であつた)。そして、本件部屋については、サウナ風呂(二個)を設置する部分を除いてその余の浴場施設について、被告藤田の希望も容れて被告会社がその設計をし、右設計に基づいて大成建設株式会社が工事をした。

以上の各認定事実に当裁判所に顕著な一般の雑居ビルの実態を併せて検討すると、被告会社の本件建物における賃貸借契約(本件賃貸借契約も含めて)は、通常の建物賃貸借と異なり、少なくとも前記店舗用部分にあつては、賃貸の際営業目的を変更しないよう定めて各種の営業がなされる一団の商店街をつくることを目的とし、賃料は店舗営業売上の一定率とする旨定めて、右商店街が来店客の増加により全体として繁栄すれば、被告会社の賃料収入もそれだけ増加するという関係にあつて、あたかも、各テナントの営業は被告会社の一営業部門をなすかのような実態を呈していること、被告会社は、ビルの管理業務をなす専門部門を有し、これが本件建物全体の管理をするのはもちろんのこと、各テナントの賃借部屋内部についても、その内装工事等について、自ら設計する場合はもちろん、他の者が設計する場合でも、事前にその内容を届け出させて、管理上十分でないときは設計を変更させているし、また、賃貸借契約において、管理上必要な場合はテナントの承諾なしにその部屋内に立ち入ることができる旨定めていて、実際に夜間とか休日には保安及び防災管理上必要と思われるときは随時部屋内に立ち入つていること、さらに、消火器の設置等の部屋内の防災管理上の事項についても各テナントを相当程度指導していること、以上が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

そうしてみると、被告会社は、賃貸人とはいえ、本件部屋内部についても事実上の管理支配を有し、その瑕疵を修補し得る立場にあつたといえるし、このことと、本件建物のようないわゆる近代的雑居ビルにあつては、その構造の特殊性からしても、所有者兼賃貸人が(共用部分をはじめとするビル全体の管理をすべきことは当然のこととして)各賃借人の部屋内部についても、必ずしも十分な管理能力のない賃借人と共同して管理しその瑕疵を修補すべき立場にある(現行消防法八条の二いわゆる共同防火管理体制について定めている)こととを考え合わせると、本件サウナ浴場施設を含む本件部屋については、右2のとおり賃借人の被告藤田が占有者であることは明らかであるが、しかしだからといつて、被告会社はその占有を全面的に排除されているとか、単なる間接占有者にすぎないということはできないのであつて、被告会社も、被告藤田と重畳して本件浴場施設を含む本件部屋を占有していたものと認めるのが相当であつて、民法七一七条の占有者に該当するというべきである。

ところで、被告会社は右占有者としての免責事由については何らの具体的主張をしないし、本件全証拠を検討してみてもこれを認めるに足りる証拠はない(前掲各証拠によれば、被告会社では消火器の設置については被告藤田に対し書面及び口頭で注意、指導はしていたが、しかしそれが実際に設置されたかどうかについては全く確認とか点検をせず、また、避難用の表示板等については何らの意も用いなかつたと認められる)。

なお、失火ノ責任ニ関スル法律の適用関係については、前記2に述べたところと同様である。

4  以上から、被告藤田及び被告三菱地所はいずれも明英の死について工作物責任を負うというべきである。

四被告らの各責任の関係

以上の二及び三の被告らの各不法行為が競合して明英を死亡させたことは、前記一から明らかであつて、これらは共同不法行為というべきである。

五損害

1  逸失利益

〈証拠〉によれば、明英は、昭和一三年一月一日生で、高校卒業後、商品取引関係の職務に従事してき、本件事故当時は山友産業株式会社に勤務する満三〇歳の健康な男子であつたと認められる。

ここで、原告らは、明英は本件事故当時右会社から年間二四三万余円の収入を得ていたとして、右収入額を基礎として明英の逸失利益を算出すべき旨主張するが、右の各証拠によれば、明英は商品取引(主として小豆相場)関係の外交員として右会社に勤務しており、その受ける収入のうち固定給は年間四〇万円程度(賞与も含めて)で、その余は外務員報酬として歩合制により受けていたものと認められるのであつて、右のように商品取引に係る歩合制の外務員報酬なるものが極めて不安定なものであることは一般的に明らかであるから、その死後もほぼ常時前記収入額と同程度の収入を得たであろうという特段の事情のない限り、これを基礎として逸失利益を算出するのは妥当でないというべきところ、右特段の事情を認めるに足りる証拠はない。

以上によれば、明英は、本件事故により死亡しなければ、満六七歳に達するまで三七年間稼働して、一般の高卒男子労働者と同程度の収入を得たであろうと推認するのが妥当であり、そうすると、少なくとも、いわゆる賃金センサスの産業計・企業規模計・旧中新高卒男子労働者の平均賃金に従つて、別紙「逸失利益表」の収入欄記載の収入を得たものと認めるのが相当である(なお、原告らも主張するとおり、口頭弁論終結時までのベースアップを考慮すべきは当然であるから、昭和五二年度までは各年度の賃金センサスにより、それ以降は同五二年度のそれによつた)。

ところで、原告内山トヨ本人尋問の結果によつて認められる明英の家族構成その他を勘案すれば、同人の生活費は右収入の三割と認めるのが相当であるから、これを右収入額から控除し、更に年五分の割合による中間利息をライプニツツ方式により控除すると、同人の逸失利益の死亡時における現在価格は前記表のとおり三〇六八万九七六九円となる。

〈証拠〉によれば、原告内山トヨは明英の妻、同内山久美子は子であつて、他に明英の相続人はいないことが認められるから、法定相続分に応じ、右損害賠償債権を、原告内山トヨはその三分の一である一〇二二万九九二三円、同内山久美子は三分の二である二〇四五万九八四六円 それぞれ相続した。

2  慰藉料

前記のとおり原告内山トヨは明英の妻、同内山久美子はその子であり、〈証拠〉によれば、原告内山貞は明英の父、同内山すみは母であると認められるが、原告らがそれぞれに、明英の死によつて多大の精神的苦痛を受けたであろうことは容易に推認されるところであり、〈証拠〉によつて認められる事実(原告内山トヨは昭和四一年に明英と結婚し、翌年長女の原告内山久美子が出生したこと、そしてその翌年に明英が死亡したこと、右原告両名は、明英の死により母子家庭となり、原告内山トヨが病弱であつたこともあつてその後経済的にも精神的にも相当の苦労をしてきたこと)と本件事故の年度(昭和四三年)、経過、その他本件に顕われた諸事情を併せ考えると、右精神的苦痛を慰謝するには、原告内山トヨ及び同内山久美子について各三〇〇万円、原告内山貞及び同内山すみについて各八〇万円が相当と認められる。

3  弁護士費用

原告らが本訴の提起、追行を原告ら訴訟代理人に委任したことは全当事者間に争いがなく、事件の難易、請求額、認容額その他諸般の事情を考慮すれば、本件死亡事故と相当因果関係にある弁護士費用損害金としては、原告内山トヨにつき一三〇万円、同内山久美子につき二三〇万円と認めるのが相当である。

六過失相殺の主張について

被告らは、明英が、本件サウナ浴場の従業員の避難指示に従つた行動をとらなかつた、一旦は浴場外に避難したのに再度浴場内に引き返した、あるいは、現場の状況からして速やかに退出すべきであつたのに、時間に余裕があるものと考えて、洋服を着用している間に逃げ遅れたとして過失相殺の主張をする。

しかし、当時の明英の行動については前記一2のとおりであつて、従業員の避難指示があつたとか、一旦避難したと認められるに足りる証拠はなく、また、煙の回りが急速であつたのであり、洋服の着用の点を捉えて直ちに明英に過失があつたということはできない。そして、本件全証拠を検討してみても、明英に過失があつたと認めるに足りる証拠はない。

七結論

以上から、原告らの本件請求のうち、原告内山トヨにつき一四五二万九九二三円、同内山久美子につき二五七五万九八四六円、同内山貞及び同内山すみにつき各八〇万円とこれらに対する本件死亡事故の日である昭和四三年三月一三日の後である同月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を被告らに対して求める部分は理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。

(原島克巳 太田幸夫 貝阿弥誠)

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